唐津市呼子町小友に伝わる小友祇園祭。その起源、現在の神幸、独自に発展した祇園祭と祇園山笠のスタイル

祇園祭奮闘記

残暑見舞い

残暑見舞い

残暑お見舞い申上げます。

2007年の激暑い夏もそお遠くないうちに終わりを告げます
しかし暑い(汗”)

今年は佐賀北高が甲子園制覇を成し遂げ、何かと話題性の少ない佐賀を朗報に沸かせてくれました!炎天下の中本当にお疲れ様でした。

このサイトもようやくアクセス数100件を越えました!パチパチパチ(普通はミリオンくらいで達成を祝うモノですが…ゼロが四つほど足りない。。)
これも一重に皆様のお陰様です!今後ともどうぞ宜しくお願い申上げます。


| 田舎暮らし | 04:07 PM | comments (3) |
こんばんわ。SHUさん返信書くのが大変遅れて申し訳ない。最近PCの調子が悪くていろいろメンテをしてたもので…あとコメントの文字数を制限しているのでブログの使い勝手が悪く重ねてお詫び申上げます。

さて、小友祇園山笠の以前の構造についてですが、私の知っている限りでは現在と全く同じで、違う点と言えば昔はもっと高くて張りかけ(バランスをとる綱)がついていなかったそうです。
また、ボブラ(こっちではボーフラとかボーブラと言っているのを聞いたことがあります)は前後の高低差を付けて見栄のバランスをとるのに使用しているそうです。私が見る限りではその機能を果たすのに必要か否か疑問な所です。
周囲の人に聞いみましたが詳しい事は不明なので勉強しときます。
| Ky | 2007/09/02 11:18 PM | o2DRCMQ6 |

すいません
長ごう書きすぎました。

浜崎系になる前はどういった形態のヤマだったのでしょう?

です。
| SHU | 2007/08/27 10:09 PM | NT1OhVSc |

こんばんは
この前消防団の反省会に行ってきましたが
話題は決まって祇園さんの話です。
まーこれはどこでもそうでしょう

ところで浜崎系という言葉ですが、これは
私が聞くところによると明治の初期に浜崎東
の隈本人形師が考案されたとか・・・

それまでの博多ヤマ風からヤリダシ、カボチャ棚
等の柱を使い奥行きのある岩ヤマにしたそうです。
その証拠にボブラ(杉を取付ける長手方向の柱)は
まさに四本のカキ棒の名残ではないでしょうか?

ということは昔は浜崎もかついでいたかも・・・
浜崎のヤマは正式には献燈台といいます。
でもかついでいたのなら、もちろん蝋燭照明などするはず
もないため、献燈台という言葉は比較的新しい言葉なのかも
しれません。

また山囃子の起源も江戸後期〜明治初期ということから
囃子方が乗る為に曳きヤマにしたのかも・・・

小友のヤマはカキ棒とは別にボブラが存在しています。
浜崎系になる前はどうい
| SHU | 2007/08/27 10:04 PM | NT1OhVSc |











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  • 【町指定】重要無形民俗文化財
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